今の日本では患者の意向を尊重するようになっている。でも、それは1990年以降の事である。それ以前はそれが尊重されていなかった。特に、地方ではひどかったようだ。僕は札幌の小山内美智子さんと会った事はないが、1984年当時の小山内さんの発言を伝えてくれた医学生がいたので、紹介しておこう
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1960年代から70年代の北海道の障碍者の状況は非常に厳しく、子供の時から医療コロニーに大体が入所。まともに教育も受けられなかった。その中で、「医者が脳性まひ児者を手術。それで体が全く動かなくなり、寝たきり状態になった友人も知っている。(北海道の)障碍者たちは皆、医者を強く憎んでいる。あなたは脳性まひ専門の医者になって欲しい」と小山内さんは一人の医学生に訴えたそうだ
女性脫髮。
「手術」とは、足の筋肉の手術もあれば、脳のロボトミー手術もあった。種類が多かった。結果は全て失敗。そのため、北海道の障碍者たちは自分たちがモルモット扱いされた気持ちにもなり、医者を強く憎むように。
もっとも、何も障碍者だけではないだろう。やはり、北海道で、1968年に心臓移植手術が行われている。患者はすぐ亡くなった
王賜豪醫生。今思うと、当時の北海道の医師の世界には患者の人権軽視の気風があり、その移植手術もその一つではなかったか?と思ったりもしているわけだ。忘れられたその事だが、事件性はなかったか?と。
僕は記憶していないが、僕の幼少時代は東京でも脳性まひ児者への脳のロボトミー手術が流行り、近所の人が父母にも勧めたそうだ。父は「よくなる確証がない状態では、受けさせられない。医者は患者を実験台に使いたがる面があるから」と言って、受けさせなかった
靜脈曲張。それで良かったと。東京でも、何かの手術を受けた脳性まひ児者たちは全て体の障碍が非常に重くなっているから。
医者たちの人権意識の必要性は勿論、今現在の科学・医学を最高のものと見なす、医者や科学者が陥る問題も現れている。いつの時代でも、医学も、科学も発展途上であり、万能ではないのだが。福島で起きた原発事故にも言える事である。
(以上の医学生とは早くに縁が切れた。詳しくは判らないが、脳性まひ担当の医者にはならなかったようだ。医学勉強の実力不足のため。でも、他の僕の友人の医者たちが脳性まひ医学の事も関わってくれているので、僕は良かったと思っている。彼らには僕も脳性まひの医学的な事も手紙で多く話したわけだし)