「蹴鞠(けまり)」は、7世紀頃に中国より日本へ渡来したとされる。
その伝来元である中国は、紀元前四世紀頃からあったとされ、
二軍にわかれ軍事訓練として用いられていたようだ
首爾自由行。
それが海を渡り、日本の平安時代の日本では、大宮人や公達が、
狩衣や指貫などを着、烏帽子をかぶり、身のこなしを優美にしつつ、
楽しむスポーツだったようだ。
得点を競うというより、いかに地面に鞠を落とさすに続かせるかが
その競技の目的となる。
清少納言の『枕草子』215段には
塑膠回收、
「あそびわざは、小弓。碁。様あしけれど、鞠もをかし」と出てくる。
この文を解釈すると、
「遊びには、小弓や囲碁などがある。遊戯というものに興じる様は、
優美には見えないが、蹴鞠はおもしろい。」という意味になる。
また、同時代の紫式部の『源氏物語』にも蹴鞠について書かれた箇所がある。
「みだりがはしき事の、さすがに目さめてかどかどしきぞかし」と出てくる。
この意味も、解釈すると
「(蹴鞠は)ごちゃごちゃしたところがある遊戯だが、溌剌(はつらつ)として気持ちがいい」
となる
雪纖瘦。
この時代は、まさに殿上人の娯楽だったが、
時代が下るに従って、神官から武士、そして庶民に至るまで裾野が広がったという。